バトル

2015年8月6日

maxmayu

 
今年の4月に台湾の高雄で
行われたストリートダンスのアジア大会にて、
ハウス部門で優勝する事ができました。
男性も混じっている中、
”女性にしか出来ない表現”をモットーに、
優勝を納める事が出来たので、
大変嬉しく思います。

私が女性ダンサーで唯一、
目標としていたNYCのMarjory Smarthというダンサーが今年の2月に亡くなってしまいました。
まだ45歳という若さで乳がんで他界されました。
どういう運命の巡り合わせかわかりませんが、
私は偶然にもNYCで行われた彼女のお葬式に参加する事ができ、
最後に彼女の素晴らしい身体に触れる事ができました。
涙が止まりませんでした。
今でも思い出すと悲しいです。
彼女は175cm位身長があり、
手足の長いダンサーとして、
バツグンのスタイルとチャーミングなキャラクターで、NYCのクラブシーンでは誰もが認めるスーパーダンサーでした。
彼女がいると、なんだか気持ちがハッピーになって、こちらまで踊りたくなる、自然と真似したくなってしまうのです。

はじめてNYCに行った15年前頃は、生徒さんも全然いなくて、プライベートレッスン状態だったのが、亡くなる前には、世界中から見たいと望まれる、スーパーダンサーになっていたMarjory。
彼女は、ずっと今のバトルシーンに対して、
「ダンスは闘うだけのものではない。みんなが共有するものなんだ。また昔みたいな、みんなが踊り合う時代がきっと来る」と意見を述べていました。

実際、私が2013年12月にNYCのJUSTE DEBOUTに参戦しに行った時も、Marjoryらは観戦しに来ていましたが、バトルを観るのではなく、ほとんどずっと自らが楽しく踊りながら、時間を過ごしていたのを覚えています。
自らが踊る事によってメッセージを発信していたんです。
「みんな勝ち負けではないよ、ダンスは」というメッセージを。

私達、90年代と呼ばれるような世代は、常にNYCの先輩から、音楽もダンスもファッションも技術も全て学んでいました。
なにしろカッコよいから、真似したくなっちゃうんです。
彼女らの存在そのものが、HIPHOPカルチャーの象徴でした。
昔のNYCのすさまじい環境の中で、産まれ、磨かれたNew Schoolのはじまりです。

今は商業的に、ダンスのジャンル分けがハンパないですけど、昔の人らは、皆さん、色んなジャンルを経て今のスタイルになっているんです。
Marjoryは、お母さんがダンスの先生であった事もあり、あらゆるダンスアフリカン、ジャズ、サルサ、HIPHOPなど…を踊れて当たり前というダンスの経験があるからこそ、ハウスミュージックという様々な音楽が融合した、自由な表現が可能なハウスダンスというものを創る事が出来た、オリジネータでした。
彼女は、女性にはいつも、男ではないのだから、女性らしく踊れと指導していました。
自分のアイデンティティーを大事にしろと。

そんな背景があり、以前から、素晴らしいジャッジを選択して、MarjoryやNYCの間違いない先輩らが、参加していたダンスの歴史を正しく認識している台湾のMAX PARTYには、是非参加したい、バトルに優勝して、亡くなったマージョリーへの感謝をマイクで言うんだという強い想いを抱きながら、今回参戦しました。

MAYU(MAD:B)